医局よりお知らせ

教授挨拶(平成26年7月25日)

平成26年7月25日

 関係各位

熊本大学大学院生命科学研究部産科婦人科学
教授 片渕秀隆

 拝啓

 私ではなく家人が買ってきた『日本の美しい女(ひと) 昭和を鮮やかに生きた66人の麗しき女性たち 昭和のミューズのまばゆいばかりの笑顔がここによみがえる!』が手元にあります。この表紙は、俯き加減の夏目雅子です。彼女は66人の中で唯一20代で夭折した女優で、亡くなった当時ファンならずとも日本人の多くが悲しんだものです。しかし、輝くばかりの20代の美しさのみを私たちに残してこの世を去って行ったのはスター女優としては幸せだったかも知れません。

 阿蘇の夏は文豪の夏と言っても良いかもしれません。明治32年(1899年)8月29日〜9月1日、当時第5高等学校の英語教師として熊本に住んでいた夏目漱石は、第一高等学校へ転任する同僚の送別を兼ねて2人で阿蘇を訪れています。2カ所の温泉湯をめぐった後、9月1日に阿蘇神社に詣で、阿蘇山に登ろうとしましたが、二百十日の嵐に遭い、道に迷って登山を断念しています。この時の体験をもとに『二百十日』が書かれていますが、その前年には玉名の小天温泉への小旅行をきっかけに「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」で始まる『草枕』が生まれています。『二百十日』から7年後、日本耽美派文学の出発点とされる『五足の靴』に登場する東京新詩社の「明星」に集う若き詩人たち、北原白秋、平野萬里、太田正雄(木下杢太郎)、吉井 勇と与謝野 寛の5人が、大津を通って阿蘇に入り、垂玉温泉から噴火口をめざしたのは明治40年(1907年)の8月27日、28日でした。

 8月と9月の予定表を同封致しました。その阿蘇のリゾートグランヴィリオホテルで、8月8日(金)、9日(土)の2日間、「第11回婦人科がん会議」を開催致します。2007年のやはり夏の7月に、このホテルが阿蘇プリンスホテルであった頃に「第6回日本婦人科分子標的研究会」を開催させて頂きました。昨年末に大腸癌や乳癌で使用されていたベバシズマブが卵巣癌で適応となり、婦人科がんでもいよいよ分子標的治療の幕開けであることを意識して、「化学療法から分子標的治療への臨床試験の展開」というテーマにさせて頂きました。皆様のご参加をお待ちしております。

敬具

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